気になる。気にしない。
何かを言われて、どうしても「気になる人」と「気にしない人」とに分かれると思いますが、どうして気になるのか、どうして気にしないのか。
気になることが悪いことではないんですね。ただ、あまりに気にし過ぎるとモヤモヤしたり、イライラしたり、落ち込んでしまったりしてしまいますのでね、ちょっと気にした後は気にしないというのがいいと思うんですね。
少しばかりは気にした方がいいということもありますからね。
俯瞰するクセをもっていると気にしないことは簡単なのですが、「ちょっと気にして、後は気にしない」という絶妙なことは、なかなか難しいのですね。
どんなことでも気にしてしまうというのは、受け入れると惨めになるのではないかという恐れがはたらいているのではないかと思うんです。
自分はもっとできるんだと思いたいという希望ですね。
例えば、影口を言われたとします。気になると、何故、わたしが言われたんだろうとか、そんな言い方しなくてもであったり、そんなに嫌われているのかなと思ったりしてしまうわけですね。
影口が頭から離れないと、眠れなくなったり、仕事や勉強に影響が出たり、人間関係が怖くなったりすることもあるでしょう。
ちょっと気にした方がいいというのは、ちょっとは自分の行為にも問題があったかもしれないなという反省なんですね。反省するには、問題があった自分を分析してみて受け入れるという作業が必要なわけです。
もしかしたら、言葉遣いが相手にとって気に障ったのかもしれない、態度が気に入らなかったのかもしれない、そんなふうに思い返してみて、自分なりに反省することが大切です。
ただ、そこで反省するのはいいのですが、漠然と自分が悪いと思い込まないことを何より注意しなければいけません。具体的な理由を知ることが大切です。「いつも自分が悪い」という思い込みで落ち込むクセをもっている場合には、思い込みで落ち込んでいる自分に気付くことからはじめましょう。
そうして、反省したら、同じことをしないように心掛けるだけですから、気にしない気持ちが大切です。
この気にしないというのは、自分も誰かも許すということです。
反省して許したので、そこで問題は解決ですから、解決の後の未来に不安を抱えないようにすることです。
未来のことは誰にも分かりません。分からないことをあれこれと考えても、分からないのですから、考えても仕方ないのですね。「危険」に対して「対処」するということであればいいのですが、「未来の不安」に不安を抱えても、どうなるか分からないことなんですね。
「その時」を迎えたときに、自分がどう対処するのかは「その時」が来たときに考えてください。それまでは分かりません。
問題を放っておくというのではなく、分からないことに不安を抱えていても仕方がないということなんです。
気にしないというのは、意識的にするものです。「気にならない」ことと「気にしない」ことは違うのですね。
少しずつ訓練していけば「気にしない」ことができるようになって、不安が軽くなってゆくのです。
気になることは世の中に、日々の暮しに、いくらでも溢れています。
全部、気にしていたら生きてゆけなくなってしまいますからね、晴れ晴れとした気持ちで生きてゆくためにも、気になるけれど、気にしないという感覚をもってみてください。
無理矢理に思うのではなく、具体的に反省して、自分も誰かも許して、それから、気にしないで生きてゆけるといいですね。
心を少しでも軽くして、日々の暮しを明るいものに変えてゆきましょう。
福 水琴
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